舘様のいる世界
宮舘涼太さんという人が、どうして私はこんなに気になるのだろうか、という話。
2020年早春、私は当時ハマり始めたキンプリちゃんについて調べるため、某Jr.のバラエティ番組を見ていたはずだった。
それまでの人生、ジャニーズ自体に興味なく生きてきたタイプで、なんならビジュアルやファンサにキャーキャー言うのは苦手なタイプだった。
あと、一時期芸人クラスタだったので、バラエティでありがちな「アイドルが若手芸人の真似して前へ前へしゃしゃり出ちゃうような中途半端なボケ」とかは見ていられない人でもあった。
だから、失礼ながらアイドルしか出ないバラエティに笑いは求めていなかった。
その時に見た番組は、キンプリちゃん以外にも何組かJr.のグループが出ており、全体をキングチームとプリンスチームに分けて色々対決するという内容だった。
キンプリちゃんが見たかっただけなので、他の人については個人名はおろかグループ名すらほぼ知らない状態だった。
SnowManというグループ名は、長年ファンをしていた親友の影響で辛うじて知っていた。
でも顔と名前は一致していなかった。
番組が進むにつれ、対決の意気込みを聞かれたりする場面で、ちょこちょこボケる担当の人が分かってくる。
なるほどこの人がボケたがりなのね…とか、勢いだけでいったな笑、とか感想を抱きながらも、まあやっぱりちょっと痛々しさはあるかな…なんて謎の上から目線で鑑賞していた。
舘様の花言葉を聞くまでは。
それまで、芸人さんにしても、キメ顔でボケるような人は「空気が読めないすべり芸」というのがセオリーだと思っていた。
いやお前が偉そうに何言ってんだよ!みたいな「常識人」からのツッコミを受けて成立するものだと思っていた。
まあ小沢さんはちょっとその流れを変えた先駆者だと思うのだけど。
(ツッコミのはずが「あまーい」でよいしょするというボケかぶせ、いわゆるWボケのパターンだと思う。)
ところが、バラを背負ったような雰囲気で登場し、謎のどっしり感をたたえた「舘様」と呼ばれる人は、ちっとも焦らずキメ顔で、花言葉を発表した。
別におかしなことは言っていないと思う。だがしかし、そこが問題なのだ。
つまり、明確なボケでもないのだ。
この人、渾身のボケを出す時の「間合い」を使って、なんかちょっと素敵なことを言った。
そしてその後の現場の空気は、笑顔と祝福に満ちていた。
なんだこれ。
なんだこのオチ???なんだこの間合い?????
オチを言わなきゃ成立しないような間なのに、結果みんな笑ってるしなんなら小沢さんキュンとしているではないか…???
あまーい言わせてるけど、なくても成立していたのでは??
大体にして、持ちネタが花言葉のジャニーズって?????
盛大に混乱しつつも、この人めちゃくちゃ間の使い方わかってる…!と妙に感心したことを覚えている。(だからなんでそんな上から目線)
アイドルとはいえ、サムくない笑いを取れる人は大好きだ。
ここで間違いなく私は「舘様」を覚えた。
その後すぐ、キンプリちゃんのかわいさに引き戻されたし、舘様もグイグイ出てくるタイプではなかったため、興味は終息した。
はずだった。
いよいよ盛大に舘様に「ひっかかる」のは、メンバーでドッキリにかけられた番組を見た時のことだ。
仕掛け人であるメンバーの部屋へみんなで遊びに来たら、殺人犯が押しかけてくるという、ドッキリとはいえ恐ろしい内容だった。
犯人がインターホンを鳴らした時、仕掛け人の康二くんすら何故かガチでビビっていたし、ただただ身を寄せ合って震えているメンバー達。当然である。
だが、舘様は違った。
彼はフライパンを振っていた。
誰もがインターホンのモニターと玄関を凝視しておろおろする中、焦げないようにフライ返しも使っていたと思う。
え、そんなことあります???
あの時、私の脳内には渡辺翔太が降臨していた。
それスノだったら特大のテロップと一緒にフライパンを振る舘様の静止画が出ていたことだろう。
彼は別に、ドッキリと気づいて冷めたリアクションをしていたわけではないと思う。多少疑っていたかもしれないけれど、ちゃんとチラチラ玄関の方は気にしていた。心配そうな表情も浮かべていた。
ただし、その手はフライパンを振っていた。
今まさに殺人犯が部屋に押し入ってくるかもしれない最中、彼はおいしいごはんを作ろうとしていた。
もうこの辺で私は舘様に惚れていたのだと思う。
さらに彼は、部屋に着く前に一瞬ぶつかって来ただけの人の顔をなんとなく覚えていた。
インターホンに写る犯人が、さっきぶつかった人と似てるんだよな…なんてこまかい伏線ポイントに気づいてくれたのである。ドッキリスタッフ大歓喜だったことだろう。
こういう絶妙に聡い人に、どうやら私は弱いらしい。
だがしかし、舘様は確信の持てないことを人に押し付けたりはしない。なにせ紳士なのである。みんなの声を遮ってまで自分の話を通そうとはしない。
ポツリとつぶやいた後は、そのことについて話題にしなかった。
もし犯人と同一人物だったら、大きな手がかりになるのに。
そして結局、こんなに冷静だった(ように見えた?)にも関わらず、最後までちゃんと真面目にドッキリにかかっていた。
この、「決定的に鋭いわけではないけど、どこかみんなとは違う所に気づいている」という点も私に大きく響いた。
(後々、いろんな場面でいろんなすの担さんから「舘様が何か言おうとしたけどタイミングを逸して言えずに口をぱくぱくしてた」といった目撃証言が聞かれ、そのいじらしさというか、愛おしさというか、そういう感情が大爆発したのはまた別の話。
私が一番好きな宮舘涼太動画でも、その雰囲気が垣間見える↓)
これ私の一番好きな宮舘涼太動画かもしれない…だんご三兄弟になってる人達もかわいすぎるけども!だてはいつも進んで前に出たりしないのに、みんなの隙をみつけて「これは言わなきゃ!」って飛び出してみた感じ、そして思わずなでなでしてしまうひーくん、それに無反応なだて…
— 及川エフ (@fffkpqpfff) 2020年12月27日
その後あっさりSnowManを追いかけ始めた私。
YouTubeを見つけてからは本当に速かった。
有識者の親友からはゆり組ananと乗馬回のだてさくポイントを教えてもらって悶絶し、
長年のすの担の親友からは「宮ちゃんがかっこいいのは世界の常識」という金言を頂戴し、興味を増していった。
Paraviもすぐ登録した。
それスノは本当にありがたくてかけがえのない番組だと思う。
舘様は毎回急に爆弾を落としていくので気が抜けない。
パラパラ回は子孫に語り継ぎたいレベルで伝説だけれど、
きのこ狩りの時にしれっと勝ちチームのご褒美をかっさらっていくシーン。
若者検定回で、ふっかのボケがスルーされた時の「可哀想だろうよぉ」。
この辺は「私が最高に好きな宮舘涼太」セレクション殿堂入りである。
こうして私はまんまと「舘様に沼落ちした」もとい、「宮舘王国の領海に沈んだ」のであった。
他にもゆり組のこと、だてさく、あべさく、数々のおっちょこちょいエピ、レインボーロズくんのこと…
たまらない気持ちにさせられたことは数々あった。
もちろん他のメンバーについても次々魅力を知り、メンバー同士の関係性のおもしろさにもハマっていった。
でも私は永瀬担で、キンプリちゃんを応援するだけでも供給がたくさんあって、SnowManに関してはしばらく、外側からやんややんや言いたいなと思って「推す」という名言を避けていたところがあった。
(まあ全然騒いでましたけどね。)
それが変わったきっかけが、今回の新型ウイルス感染のニュースだった。
これに関しては未だにどこか心配を拭い去れないでいるけれど。
それまでもジャニーズに限らず、色んな有名人の方が感染したニュースを聞き、
その度に、ああどうかこれ以上何も起きませんように、と祈るような気持ちになっていた。
でもあの日、舘様陽性の一報を受け、強い不安を感じ、そしてそれまでの自分の想像力の薄さに愕然とした。
まだ若いし、無症状やほんの軽症ならば。今は悔しいかもしれないけど、またすぐ戻ってこられるからね。なんて気持ちがそれまで正直あった。
でも、いざ好きな人が陽性となり、その人はどうしているだろうかと想像を巡らせた途端、ぞっとした。
後から症状が出てくる可能性もあるという恐怖。
誰にもうつしていないだろうか、何がいけなかったのか、という精神的負のスパイラル。
夢見ていた舞台を諦めなくてはいけない状況。しかも自分一人の夢ではないこと。
誰一人わるくないと分かっていても、どこかで面倒をかけているということに苛まれるであろうこと。責任感の強い人であろうからこそ、なおのこと。
それを、身体は変わらず動くのに、じっと耐えなくてはいけないこと。
辛い時はせめて誰かそばにいてくれさえすればと思うのに、それこそが禁じられてしまうこと。
そうか、陽性になってお休みするって、こういうことなのか。
やっとその恐ろしさに気がついたような感覚だった。
ここからはただひたすら私の私見だ。いやずっとそうなんだけど。
舘様は強い。いつもみんなそう言うし、実際に身も心も丈夫な方のようだ。
本人もそう思っているのだと思う。気をつけてらっしゃるようだし、自分に言い聞かせている部分もあるのかもしれない。
でも、強い「から大丈夫」、と言われるのはたぶん結構つらい。
信頼の証として嬉しいこともあるだろうけれど、なんだか心配を打ち切られたような気持ちがすることもあるんじゃないかと思う。
一人でいるのは得意かもしれない。一人の時間を大事にする人かもしれない。
自分からベタベタするタイプではないかもしれない。
でもこの人は、「これからも楽屋は9人一緒がいい」と言った人だ。
だから、強くなくてもいいから、どうか無事に戻って来てね。
せめて電話でもメールでも、好きな人たちと触れ合って耐えてね。
それが、一報から数日経って私の中に残った気持ちだった。
自分でも、こんなに心配していることに驚いた。
そして復帰が決まった時、そこでとうとう、ああ好きだな〜!とはっきり思い知らされた。
会えない時間が愛育てるのさ、とはよく言ったものである。
そうと分かれば話は早い。
腹をくくってFCに入会した。
親友たちにも報告した。
そして冷めやらぬうちにここまでの顛末を文章にしておきたくなった。
ここまでが、2021年1月13日時点で書いた文章だ。
そして迎えた1月15日、復帰後の宮舘涼太ブログ担当日。
そこに並ぶ、あまりにまっすぐでこれ以上なく伝わってくる言葉の数々に、ほっと胸を撫で下ろしつつも、やっぱりとてつもなく辛かったよね、戻ってきてくれてありがとうね、と胸が熱くなった。
一時期、だてこじの関係ができたことによって舘様はよく笑うようになった、とメンバーが言っていたけれど、同時に自分の「脆さ」みたいなものも、ちょっとずつ見せられるようになったのかなと思う。
(これはもしかしたら他のメンバーにも当てはまるかもしれないけれど。
誰にでもある各々の 「脆さ」は、時にその人の愛おしさであり、魅力でもある。
康二くんは、自分についても相手についても「脆さ」を認めて愛するということを、身をもって教えてくれてると思う。
これは彼らが一際輝くために、とても重要なことだったと思う。
だからこのことについて、私は康二くんに一生頭が上がらない。)
そして今回のブログにもその影響が垣間見えるように思う。
今まで自他共に「みんなを支える舘様」のイメージだったけれど、みんなに頼ることもできるようになったんじゃないかと。
それって実は、舘様にとっても大事なことだと思うし、頼られる方にとって嬉しいことでもある。
夢が沢山できたというあなたを、応援できて嬉しい。
ファンになること、間に合ってよかった。
本当に本当に、おかえりなさい。
最終的にそう思えるブログだった。
ああ結局なんにもまとまらないのだけれど、いつもたくさん愛を伝えてくれる舘様に、長々とラブレターを書いたようになってしまった。
まさにそこを書き留めておきたかったのだからいいっか、とも思う。
デビュー2年目も、大躍進する舘様をたくさん応援できますように。
改めて、舘様のいる世界にごきげんよう。